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彼女の福音

参拾捌 ― 本当にどっちが先輩だかな ―

 

 

「さっきから、どうしたんだ?」

 私は狭いアパートを行ったり来たりしている自分の夫に声をかけた。

「いや、その、落ち着かなくってさ」

「ふむ」

「あー、くそっ、こんなんだったら勉強してた方がましだっ」

「…………」

「……すみません奥様今のは失言でした心より猛省しております」

 私の冷たい視線を浴びて、朋也が身を縮こまらせた。その仕草が、特に肉体労働で鍛えた体躯の持ち主である朋也がそれをやっているという事実があまりにもかわいく見えたので、私は笑みをこぼした。

「うん、許す。まったく、仕方のない奴だな」

「へい」

「そんなに落ち着かないのなら、手伝ってもらうことは山ほどあるんだぞ?掃除機をかけるとか皿を並べるとか買い出しに行くとか」

「……買い物行ってくる。リストをくれ」

 結局朋也は頬をぽりぽり掻きながら、私の(他人から見れば桁外れに厳しいらしい)チェックの逃れることができる買い物を選んだようだった。しかし私だって長い間朋也の連れ合いをしているわけではない。そう来るだろうと思って、もうすでにエプロンの中にリストを書き留めて持っていたのだ。

「……よし」

「豚肉は骨のない物をな。あと、野菜とかはちゃんと新鮮なのを選んでくれ。トマトは……」

「わかってる。蔦がまだついている奴を、だろ」

 朋也もにかっと笑った。

「伊達に智代の旦那を長い間やっているわけじゃないからな」

 その物言いに、私はくすり、と笑った。朋也が私の腰に両腕を回す。目を閉じて軽く唇を重ねた。

「んじゃ、行ってくる」

「うん、気をつけてくれ」

「へいへい」

 コートを羽織ると、朋也は外に出かけていった。私はそれを見届けると、押し入れの中から小型の掃除機を引っ張り出した。

 

 

 

 

 事の発端は昨日の夜。

 夕飯の物を買って帰宅すると、そこには何故か不貞寝している朋也の姿があった。

「……何があったんだ?」

「べっつにぃ……」

 恐ろしく不機嫌な声が返ってきた。

「ふむ」

 昨夜及び今日の私達の触れ合いを思い浮かべてみる。む、まさか昨夜朋也が四回目を迫ったのを断ったのがいけなかっただろうか。いやいや、そんなことで腹を立てる朋也じゃない。そういう場合は次の日に持ち越し、無論(そんじょそこいらのサラ金も真っ青な高率の)利子をつけてだ。では朝ごはんのお味噌汁が少し塩辛かったのがまずかっただろうか。それはない、と思う。そのお味噌汁をおかわりしたのは朋也本人だし。では出勤のキスの時に朋也に抱きしめられたままで抱きしめ返さなかったのがお気に召さないのだろうか。それもないだろう。多分。

 と、そこまで考えて、私はちゃぶ台に目をやって、ため息をついた。そこには乱雑に広げられた、朋也の通信制大学のノートやら参考書やらがあった。

「……また、難しいところにぶち当たったのか」

「はっ、どーせ俺は勉強に向かない馬鹿ですよーだ」

「そんなことは誰も言ってないじゃないか。あと、そこでやめておけ。これ以上行くと、『肉体労働の朋也君は筋肉筋肉とか言って外でずっと仕事して、頭を使うのはともぴょんに任せた方が無難だぞこの単細胞、と言いたげだなぁ』とか変な言いがかりをつける筋肉だるまになってしまうからな」

「……」

「い、いや、私がそういう風に思っているわけじゃないからな?それはその、朋也の筋肉には惚れぼれするものがあるがな?でも私だって朋也に相談に乗ってほしいこともあるし、そもそも朋也だって私の中ではカッコいい上に切れるところのある理想の男性だし……ああっ!私は何を言っているんだっ!!」

 自分自身、少し過負荷気味になった。朋也のせいだ、絶対。

「ま、まぁ、智代が俺のことをそんなに愛してくれるんだったら、その……」

「私は朋也を『そんなに』愛しているわけじゃないぞ?」

「なぬっ」

「『そんなに』どころじゃない。もっともっと、言葉にできないくらい大好きだ」

 えへん、と胸を張って言うと、「くそ、そんな恥ずかしいこと……」とか言いながら朋也が背を向けた。む?今顔を真っ赤に染めていなかったか?むむ、かわいいな。

「だけどはっきし言って無理だ。もう頭がパンクする」

「そんなに難しいのか?」

「ああ。このままじゃ頭のタガが外れて、夜になったら煩悩開放ってことになりそうだ」

「……問題が解ければ、大丈夫なのか?煩悩開放は阻止できるのか?」

「うんにゃ。昨日の利子が膨らんで煩悩開放する」

「どっちにしろエッチなことをするつもりなのか……はぁ、仕方のない奴だな」

 私はため息をつくと、スーツの上着だけをハンガーにかけて台所に向かった。スーツを着たまま料理をするのは気が引けるが、今の朋也の前で着替えて無事に済む確証はない。むしろ料理の前菜となってしまいそうな気がする。

「それにしてもおかえりの挨拶がなかったのは、少し寂しいぞ」

 エプロンを着ながら唇を尖らせてみると、案の定背後から抱きしめてきた。

「おかえり智代っ!!お前が帰ってきてから、この部屋がずっと明るくなった気がするぞっ!!」

「お、遅いんだからなっ、そういう調子のいい話は、す、少しだけしか聞いてあげないんだからな」

「でへへ、智代ぉ」

「わかったわかった。夕飯を作るから、朋也はちゃぶ台の上を片づけてくれ」

「ういっす」

 頬に軽くキスをして、朋也が私から離れる。まったく、甘えんぼで困った奴だ。

「でも、たまには息抜きは必要だ」

 とんとん、と包丁でネギを刻みながら、私は言った。

「根を詰めすぎると、結局は自滅するからな。明日は勉強も休みにしよう。ふむ、そうだな。気分転換に、杏と春原を呼んで夕飯、なんてどうだろうか」

「は?」

「最近、二人も何だかんだで忙しそうだしな。久しぶりに四人で揃うのもいいんじゃないか?」

「……ま、まぁ、いいか。そうだな、そうしよう」

 その時はあまり朋也は乗り気な顔ではなかった。

 

 

 

 

 そう、その時は乗り気ではなかったのだ。

 しかし、何というか。やはり朋也は不器用な人間の部類に入ると思う。朋也の買ってきた物を見て、改めてそう思った。

「朋也」

「ん?何だ?」

「お前は『酒なら日本酒、どうしてもって言うんだったらキリリンビール』じゃなかったのか?」

「……あー」 

 視線を逸らす。

「ではこのエビっすビールの缶は何だ?しかも一缶ならともかく十二缶なんて、少し多いんじゃないか?」

「それは……安かったんだ」

「ふーん?」

 答えはわかっている。だけど普通は意地悪な朋也に仕返しができるということで、私は少し悪乗りをした。

「まぁそれはいい。だけどな、このちくわは確か頼んでいない気がするんだが?」

「……うぅ」

「このビールとちくわは誰のためのものかなぁ?そう言えば朋也の知り合いで『岡崎、エビっすビールとちくわって最高だねっ!』とか言っていた奴がいたな?」

「……ううう」

 そう、この二つの品は、どう考えても春原用にしか見えなかった。さっきのそわそわといい、何だかんだで朋也も今夜のことを楽しみにしているのだった。

「世間ではそういう態度のことをツンドラと呼ぶそうだぞ?ん?」

 赤くなって固まっている朋也の頬をツンツンしながら言うと、仏頂面で言い返された。

「……ツンドラじゃなくてツンデレだ。あと、それは男と男でやるもんじゃないからな」

「ん?そうなのか?いや、私の同僚の中に、夏の間に休暇を取った人がいてな?その人の読んだ本によると、男と男のツンデレは美しい物だとか」

「智代、頼むからそっちの世界に行かないでくれ。何なら俺も協力しよう」

「……具体的に何をどう協力するつもりなんだ」

「その気がおきないよう、みっちりきっちりしっぽりむふふと手とり足とり」

「要するにそっちの方向にしかお前の脳みそは働かないんだな」

 はぁ、と私はため息をついて、遠い(と言っても同じ市内だが)場所に暮らす義父の顔を思い浮かべた。

 お義父さん、あなたの息子さんはとんでもないドスケベになってしまいました。

「というわけで智代ちゅわん……」

「却下。これから私は料理で忙しくなるからな」

「そう言うなって……おわっ」

 その時朋也が足を滑らせ、買い物袋に躓いた後に尻もちをついた。その拍子に空を舞った買い物袋からキュウリが飛び出て

「あ」

 ずどんっ

「うぉっ」

 朋也の両足の真ん中にぶすりと刺さった。

「は、はは。大根が刺さるってのは予想してたけど、キュウリもかよ……」

「ありがとう、お義母さん」

「は?」

「いや、何でもない」

 

 

 

 

 ピンポーン、とベルが鳴ると、朋也がいそいそと扉を開けた。

「やっほー、こんばんは」

「よっ、岡崎」

「誰だお前は。杏の知り合いか」

「あたしだって知らないわよ。てっきりあんたのペットかと」

「ははは、冗談はよせよ。こんな気味の悪い物を飼ってるわけないだろ」

「それもそうね」

「あんたらひどいっすよねっ!!」

 いつも通りの会話を聞きながら、私はくすくすと静かに笑う。さっきまでの朋也の態度を見れば尚更だ。自分の逸る気持ちを抑えてあんな冗談を言えるのは、朋也が器用だからなのだろうか。それともああいうふうでしか友人を迎えてやれないのは、やっぱり不器用だからなのだろうか。どっちにしろ、おかしい。

「あだ」

 その時、聞きなれない声を聞いて私は手を止めた。今のは、何だ?聞き間違いでなければ赤子の声のような気が……

「今の……何だ?」

「あー、ごめん。この子ね」

「ばぁだ、だぁっ!」

「…………」

 朋也が黙りこくるので、私はコンロの火を止めて玄関に行った。するとそこには

「……」

 石になった朋也と

「あ、その、これは……」

 何だかしどろもどろな春原と

「よしよし、起こしちゃった?」

 思いきり母親顔の杏と

「あだだぁ、あうぁっ!」

 ご機嫌な赤ちゃんがいた。

「杏……お前……」

「事故ったのか?」

 言い終わった途端に杏のひざ蹴りを喰らって、朋也が無言で悶絶する。痛そうではあったが、確かにもっと言い方があっただろうと思うのでとりあえずスルーしてみた。

「やーね、この子は勝平と椋の赤ちゃんよ。ほら、今年の初めに」

「ああ、そうか。椋の子供か」

 そう言って覗き込むと、その赤ちゃんも私を見つめ返した。そしてしばらく時間が経ってから、私は視線を逸らした。

「……だめだ」

「え?どうしたの、智代ちゃん」

 春原が私の背中に声をかけるが、今は振り返ることができない。何とか頑張って、私は呟いた。

「かわいすぎる……」

「でしょでしょ?あたしもね、一目見て『抱かせて〜』って椋にせがんだのよね」

「名前は何て言うんだ?」

 ようやく回復した朋也が、杏に聞いた。

「柾子。正月、まあ厳密に言えば大晦日なんだけど、とにかくその時に授かったってわかったからって」

「柾子ちゃんか。よしよし、かわいいな」

 頬をぷにぷにすると、柾子ちゃんは小さな小さな手で私の指を掴んだ。その瞬間、私は固まる。

「……だめだ」

「ね?」

「かわいすぎる……」

「ま、とりあえず中に入れよ。いつまでも外にいたら柾子ちゃんだって寒いだろうし」

 朋也の声で、私達はぞろぞろと家の中に入った。

 

 

 

 

「ねぇ岡崎」

 春原の声が聞こえた。

「何だ」

「何かさ、僕ら、そっちのけにされてない?」

「言うな、春原。言葉にすると辛いじゃないか」

 朋也の沈んだ声がしたので振り返ると、部屋の片隅で男が二人、どよよ〜んと床に「の」の字を書いていた。

「どうかしたのか、二人とも」

『ぶぇっつにぃ〜』

 シンクロして不貞腐れた返事が返ってきた。何か言おうとした時に

「あ、見て見て、また笑ったわよ」

「何っ!!」

 私と杏は柾子ちゃんに笑いかけた。ああ、かわいい……

「かわいい物は好きだよ、私は」

「そこで微妙な中の人ネタを出されてもね……」

「しかし目元なんて椋にそっくりじゃないか。いや、むしろお前に似てるんじゃないか」

「やめてよ〜、照れるじゃないの」

「柾子ちゃんはおばさん似なのかな?ん?」

 おーよしよし、と杏が腕の中で揺すると、柾子ちゃんは両手足を振りながらきゃっきゃと笑った。

「ママ、今夜はお仕事遅いのよね〜。大変でちゅよね〜」

「今夜は夜勤なのか」

「そうなのよね。で、勝平もちょっと遅くなりそうだからさ、あたしが預かることにしてるの」

 その時、私は何故か激しい脱力感と無力感、そして絶望を感じた。何というか、背中から闇が浸食してきたような感じだった。

「あぅー……」

「あら?……何だろ、何だか疲れちゃった……」

「杏もか?」

 そう言えば柾子ちゃんも急に疲れたかのようにぐったりしている。

「変ねぇ……って、あらら」

 杏が振り返って見て、頭を掻いた。不審に思い、私もだるい体を総動員して後ろを向くと、そこには果てしない闇が広がっていた。

「岡崎ぃ、僕達って……僕達って一体……」

「何でこんな不公平なんだよ……畜生……」

 どす暗いオーラが春原と朋也から漂っており、それが次第に光を貪り空間を汚染し私達の方まで浸食してきていたのだった。さっきの脱力感と絶望感の原因は、とどのつまり朋也と春原が私達に構ってもらいたくて、でも私達の意識は柾子ちゃんに向けられていて、でも「俺にも構ってくれよ」などと言うなんてプライドが絶対許さなくて、結局不機嫌を通り越して発したイジケオーラだったわけだ。

「何やってんでしょうね、あの馬鹿」

「全く仕方のない奴らだ」

 二人でため息をついた。

「だって……だってさぁ……ねぇ?」

「なぁ……」

 力なく二人が答える。聞くだけ生気が奪われていくような声だった。

「朋也、よく聞いてくれ」

 私は体ごと朋也の方に向く。イジケきった肩から、朋也の顔がのぞいた。あ、かわいい。

「お前ならわかっていると思ったんだがな」

「……何の話だ」

 本来なら傍にいって抱きしめれば効果抜群なんだろうが、今の朋也に近づいたら引き返せないところまでイジケオーラに侵されてしまいそうだった。

「簡単なことだ。私の一番大事な人はお前だからな?それは天地が引っくり返ろうが地球に隕石がぶつかろうが一ノ瀬がツッコミのプロフェッショナルになろうが変わらないからな?」

「……」

 朋也は顔をまた壁に向け、そしてうなだれた。やがて背中がぶるぶると震え始め、そして

「智代っ」

 おろろ〜ん、と滝の如く涙を流しながら朋也が私に抱きついてきた。

「よしよし、わかったからな、落ち着こうな」

「智代……俺……俺……ぐひん」

「うんうん。よしよし」

 私が朋也の頭を撫でていると、向こう側でも変動があったようだった。

「よーへーくーん」

「……何だよ」

「柾子ちゃんが、陽平に挨拶したいって」

「べ、別に僕はさ、子供が好きってわけじゃないしさ、杏の姪っ子だから仕方なく一緒にいてあげるってだけで」

「柾子ちゃん、何だかカッコよくてハンサムでイケてる陽平おじさんのお顔がもっと見たいって」

「ちっ、しょうがね〜な〜、そこまで言うんだったら〜、構ってやってもいいかなぁ〜」

 無論、そう言っている割には春原の顔はデレデレもいいところだった。何というか、杏は既に春原の制御方を身につけたようだった。

「朋也マスターのあんたほどじゃないけどね」

「む?何の話だ?」

「……自覚ないわけね」

「だから何の話だ?」

 

 

 

 

 春原達が帰った後、私は後片付けをしながらふと考えた。

 いつかは。

 いつかは私も母親になれるんだろうか。

 親。それは私と朋也の間では少し特別な意味を持つ。今では二人とも両親とは和解しているが、恐らくあの頃の記憶は払拭することはできないだろう。朋也は今でも肩が上がらないし、私も時々真夜中に両親が口論する夢を見る。もうずっと昔の話なのに、今でも私達はあの頃の記憶に(少なくとも一部は)縛られているんだと思う。そして社会学者などはよく口をそろえて言うものだ、歪な家庭の奥底には、親の経験した歪な家庭がある、と。

「智代」

 不意に朋也が私に声をかけた。

「ん。どうした」

「いや……ただ、まぁ、あれだ」

 照れくさそうに笑いながら、朋也が私の隣に立った。

「今はまだ準備ができてないかもしれないけど、いつかは親になれるように、俺、頑張るからな」

「……うん」

「俺とお前と、それと子供が、そうさな、二人、かな?智代似の女の子だったら尚更いいな」

「朋也似の男の子でもいいと思うぞ」

「そうか?まあ、とにかく。そんなんだったらさ、すげえ楽しいと思うんだ。すっげえ幸せなんじゃないかって思うんだ」

 そう言いながら朋也は私に笑いかけた。どことなく子供っぽくて、期待に満ちた、屈託のない笑顔だった。それに魅せられて、私も笑った。

「ああ、そうだな。すごく楽しそうだな」

「だろ」

「じゃあ、約束だ」

 そう言って、私は小指を立てた手を、朋也に差し出した。

「あーっと、これは?」

「指きりげんまんだ。もし子供ができたら、何があっても幸せな家庭でいよう。そうお前と約束したいんだ」

 いや、それだけじゃない。私は、私と契約したいんだ。もしそんな幸せな世界の可能性を手に入れたら、絶対にそれを実らせよう、と。かけがえのない物を手にして、それを絶対に手放さないように頑張ろう、と。束縛されるのは私達だけでいい。せめて私達の子供には、幸せな時間を。

「指きりげんまんなんて、懐かしいな」

「女の子らしいとは思わないか?」

「とっても女の子らしいぞ、智代」

 そう言いながら、朋也が小指を私のそれに絡めてきた。

「うん。じゃあ」

「もし俺達に子供ができたら」

「何があっても」

「どんな時でも」

「幸せな家庭でいよう」

 指切った。

 しばらくの間はそのままだったと思う。やがて笑いがこみあげてきて、くすくす笑いながら私は朋也に抱きついた。背中に回された手が心地よかった。

 

 

 

 

「というわけで、今から頑張ろう」

「……何をどう頑張るんだ?」

「いや、ほら、家族作り」

「……」

 はぁ……いい雰囲気で終わるかと思ったのにお前は。

 お前は。お前という奴は。

 ならば是非もない。頑張ってもらおうではないか。

「そうか、頑張るか」

「ああ。お望みなら、一晩中頑張って見せるぜ」

「そーかそーか。一晩中か」

 そう言いながら私はちゃぶ台を拭いて、「よし」と気合を入れた。

「布団は敷かないのか」

「敷かないぞ?」

「ふっ、布団なしでやろうとは、今夜は面白い趣向だな、はにぃ」

「何を言っているんだお前は。これから頑張るのに布団は邪魔なだけだ。さあ始めよう」

「おう」

 そう言ってシャツのボタンに手をつける朋也。しかし私の方を向いて、異変を察知する。

「……智代、何をしている?」

「ん?お前が頑張れるように準備しているだけだ」

「……ちょっと俺の考えていた頑張りとは違う気がするな。何だかこう、話が食い違ってないか?」

「ぜんぜん。私とお前のシンクロ率は、エヴァもびっくりだと自負している」

「……そうか……念のために聞きたいんだけどな、俺は一体、何を頑張るんだ?」

「決まっているだろう?家族を築くために必要な経済的基盤構築のための」

 どん、と私は「それ」をちゃぶ台の上に置いた。その勢いでシャーペンが転がり落ちた。固まる朋也に向かって、私はできる限りいい笑顔で言い放った。

「勉強だ」

 

 

 朋也の絶叫が、夜の光坂市の一角に響き渡った。

 

 

 

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